貴方の見ているドメインは
このページについて
山腹の中ほどの曲角で房一は立ちどまつて汗をふいた。今ではもう真下にひろがつて見える桑畑の外れにぐつと落ちこんだあたりを曲りながら流れる川の水流がぎらついていた。その下手に、河原町のいろんな形の屋根がかたまり、とぎれ、又つゞいていた。このあたりは子供の時分に遠走りに遊び歩いて来たことがある位で、房一には殆ど縁のない場所だつた。殆ど二十年ぶりだらう、そこに立つて様子の変つた河原町を眺めていると、房一は何とはなしにゆるい感動の湧いて来るのを覚えた。こゝで見る河原町はその小粒の屋根のせいか、手にとつて楽しむことができさうに、何だかなつかしかつた。そのなつかしい何ものかは、彼の記憶の遠くに彼の存在の奥深くにつながつていた。しかも、今彼自身は以前には思ひもかけなかつた河原町の医者としてこゝに立つている。
いきなり忙せはしなく立上ると庫裡へ走つて行つて、間も無く茶器を揃へた盆を自分で持ち運んで来た。長い胴を折り曲げるやうな危つかしい調子で房一の前に置くと、
「やっぱりチブスで?」
もともと口下手ではあつたが、まだ舌がもつれる風で、一口ごとに息をついて云つた。
「あら、お帰んなさい。随分早かつたのね。もう済んだんですか」
どういふ加減からか、それを云ふ時、相沢はぐつと又相手の顔をのぞきこんだ。それは何となくもつたい振つた、重々しい様子だつた。
徳次は気が抜けたやうに、口のあたりをもごもごさせるきりだつた。
「それは、まあ、都会風でいけばそれでいゝわけだが」
「あんたも、おめでたいさうで」
練吉と房一は、川沿ひの路を、肩を並べて自転車を走らせていた。
「おや、いつのまにそこに来てなさつたかね。お茶ですか、上げますとも」
「――さうだな」
「こゝの消防演習をやつたのだ。そんなに騒ぐことはない」